オーストラリア ツーリング

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事のはじまり

 大学の6年間で沖縄県を除く全県を走破した。数々のツーリングにいっしょに行った研究室の同期の田中と、それでは沖縄に行こうという 話をしていた。沖縄から台湾に船で渡れないかな、いやいっそのこと、その南のオーストラリアに行こう、と、どんどん話が大きくなった。
 大阪の伊丹空港から飛び立ったが、田舎者の私にはこの時が始めての飛行機、海外旅行だった。 1986年3月4日〜22日の3週間のツーリングである。 当時は海外ツーリングの情報も少なく、ビザを取りにいった大阪のオーストラリア領事館で現地の電話帳か何かでレンタル屋を探した。 国際電話で予約、なども思いもよらず、数件のレンタル屋の住所を持参して、あとは現地で行き当たりばったりだった。

・・・行きそびれてしまった沖縄には、バイクでもその他でもまだ行っていない。
ツーリングコース図


Sydney から Port Augusta

シドニーの空港で、Hertzのカウンターに行くが、rent-a-bikeはQueenslandでないとダメとのこと。日本で調べたシドニーの レンタル屋に電話。オフロードは無いとのこと。タクシーでChulloraにあるレンタル屋へ。XV750 Midnight SpecialとXJ750にする。 その他、$200安くてCX500もあった。オフロード用に持参したモトクロスブーツなどを店に預ける。 まずはBP(British Petrolium)のガソリンスタンドで、「野宿ライダー」寺崎勉が愛用したという地図を買う。 オーストラリアは今夏の終わりだが、まだ相当暑い。


Sydneyから西へ、Blue Mountainsに向かう。KatoombaのEcho Pointで岩山の「Three Sisters」を見る。やっと観光地らしくなってきた。 Victoriaから来たというZ1000改の2人乗りキャンパーのカップルと少々話しをするが、なかなか相手の言うことが分からず苦労する。 なにしろ我々は受験英語オンリーで、話す・聞くはまったくやってないから。McDonaldを日本語流に「マークードーナールードー」といったら 全然通じなかった。「マクナルド」と「ド」の字を強く言わなければいけないと初めて知った。今時の若者なら知っているのだろうけど。


初日のキャンプはLeuraのCPにて。オーストラリアではいたるところにCP(Caravan Park)がある。いわゆるオートキャンプ場だ。 料金も数ドルだし、コインランドリやコインシャワーもあり便利なので、我々は軟弱に野宿は止めてCPに泊まって旅した。


ツーリング3日目、日中は大変暑いので、早起きして午前中に距離をかせぐようにする。 XJのエンジンが不調。1気筒死んでるようだ。ちょっと休むと直るが、オイルランプは時々点灯するし、どうも気持ちが悪い。 プラグは錆だらけ。4時半に途中の街で買い物。オーストラリアはスーパーでさえ、5時で閉まってしまう。CPに着いて、まずはビール。 ビールが足りないので、Yarrawangaまで20Kmほどをひとっ走り。途中のLake Mulwalaにはオーストラリア版のトドワラがあった。


早朝の道。オーストラリアといえば、やはりこれでしょう。

ちなみにオーストラリアは日本と同じ左側通行で、Km表示。時差もほとんどないので、日本からのツーリングにはうってつけ。


Echucaで、XJのプラグ交換のために寄ったバイク屋にて。

CBのカフェレーサーは美しく仕上がっていた。
道端で写真とっていたら、子供が出てきて、まあお茶でもということに。バックにはオフローダーがさりげなくトレーラーに積んである。

オーストラリア人は裸足が大好き。大きな街中でも、夕方なんかにハイヒールを手に持って裸足で歩いている勤め帰りの綺麗なおねーさんなどを よく目にした。



(左)現地のツーリングライダーとすれちがう。我々は日本流にピースサインなど出していたが、彼らは親指と人差し指でL字のサインを出す。 何の意味だか未だに知らないが。

(右)オーストラリア人はビール好きだ。行く先々に地のビールがある。我々も日中は暑いのでよく飲んだ。 当時、オーストラリアではビールは飲酒に入らないなどという神話を勝手に信じていたのだった。

これもオーストラリアならでは。道を占領しているのは羊です。

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