野宿記 九州一周

1985年3月20日〜4月2日

前編

海と山

私は山国の生まれであるが、近頃海が無性に好きになった。
海に特別の感情の生じたのは放浪に憧憬れはじめた時からだろうか。
海とは不思議なものだ。
ヂッと見ていると何ともいえぬ心持になる。
放浪の俳人、山頭火と放哉。
彼らは奇しくも同時代に生き自由律俳句をもって生きざまを表す。
伴に仏門に入り僧として死す。二人は一度も顔を合わさなかった。
放哉の「咳をしても独り」に山頭火は「鴉啼いてわたしもひとり」とこたえている。
放哉は海を好み、山頭火は山を好む。
山のよさ、山路のよさ、水のうまさ。
山頭火は讃美して止まない。
彼は、海は落ち着かないという。早く山路に入りたいという。
山頭火。
放哉。
近代において社会に容れられず、社会を容れず、独自の道を歩む。
社会からは、我が儘、アル中、あまえ、等々といわれ、
その句は人の心をとらえて止まない。
私もその一人。
彼等のような、理想の、憧憬れの、貧困の、悲惨の、自由の、寂しい、生活を生涯を送れるか、 送りたいか。
山もよい。山もよいのだ。
青い山。春、俺は旅立つ。九州へ。
山頭火の歩んだ山路。
放哉の好んだ海。
その両方を旅のテントの中から見てこよう。

下宿の前にて、出発前に相棒の石井と。

大学の同期の横小路が見送りに来てくれる。少々寂しげ。奴には盗まれてバイクがないのだ。

三月廿日


京都―神戸(魚崎)
走行72Km
八時起床。目は覚めるのだが、ねむい。明日からはキャンプ生活なのであるから、朝型のペースとしなければ ならない。十一時、石井が来る。ホカベンで昼食。しばらくして、横小路、見送りに来てくれる。少々寂しげ。 奴には盗まれてバイクがないのだ。十二時前出発。石井を後にして走り出すが、何だか落ち着かない。妙に そわそわしている自分がよくわかった。R171で神戸に向かう。止まっていると暑いくらい。道は車が 多く走りにくい。とくに石井がXL200Rなので、発進・追越加速がまったく違う。三十分程走ると、 やっと旅心が着いて石井のペースにも合わせられるようになる。二時半、魚崎港着。しばらくすると ツーリングバイクも数台来る。フェリーには待たされて最後に乗船。荷物を下ろしているうちに出航。 船室は、まあまあ空いている。さっそくビール。すきっ腹によくまわる。しばらくデッキに立ち、海を眺める。 天気はもう曇りとなり、暮れかかっている。明石海峡はさすがに船が多い。久々の海は気持がいい。六時、 待ちきれずに夕飯とする。まわりは子供がうるさい。山頭火を読むが、もうひとつ雰囲気に浸れない。 早く静かな海辺のテントの中で波の音でも聞きながらランプのあかりのもとで読みたいものだ。

三月廿一日


小倉―秋月―柳川
走行140Km
ゆうべは九時消灯。思いのほか早い。なかなか眠れず、結局三〜四時間まどろんだだけとなる。
六時、海を見ると雲も少なく晴れそうだ。七時、下船して走り始める。ゆうべは雨とみえて路面は濡れている。冷たい朝霧の中 R322を南下。山頭火のいう香春岳は霧であまりみえない。南側には砕石場などもできていた。 北部九州の道は、例によって標識が少なく走りにくい。
峠を越えると秋月。休日にしては観光客も少ない。まあ、これといった有名なものがあるわけではないのだから。 人の少ないのが気に入った。日が照り、ひばりの鳴くのどかな田園風景。
柳川へむけて走り出すが、久留米のあたりでついに道に迷ってしまった。一時過ぎ、柳川着。さっそく川下り、千円なり。 船の上での一時間少々は気分がいい。天気もよくて。水郷柳川、白秋のふるさとである。俺にとっては福永武彦の「廃市」の方が印象が強い。 まあ、「廃市」の冒頭にも白秋の言葉があるが。静かな雰囲気はよかった。白秋生家をみて、帰りは歩いたのだが、緑が多く、ビルなどなく、 田舎のようで歴史をもった街、また住みたいところがふえた訳だ。
スーパーで鰹のタタキを買い、海に向かう。堤防の向こう側に有明海の干潟がある。小さな神社の境内で野宿。ダートでコケてしまった。 ツーリングの初日から。

・三年振りの九州でコケる。

・半年振りで聴くジルベルト、テントの中。

有明海に沈む夕日は美しかった。間際になって赤く大きくなった。三年振りの九州である。三年前はユースで、野宿など考えも及ばなかった。
有明海はまったく潮の香りがしない。夕日に輝く干潟の遠くに、泥舟でムツゴロウ採りをやっているのが見えた。船は続々と港に帰ってゆく。 干潟には蟹が這い出た穴がぼつぼつとある。
夜のテントの中でなかなかひとりとなれない。山頭火のいう、一室一燈となりたい。しかし、フェリーの中にくらべればまだよい。 木賃宿では、きっとあんな場合もあったのだろう。

フェリーより早朝の関門橋

峠より秋月を見下ろす

秋月の武家屋敷

秋月にて、おいしいという水でコーヒーを沸かす

水郷柳川の川下りにて、海鼠塀

白秋生家

有明海岸のキャンプ地

有明海の夕日

三月廿二日

晴 後 曇
柳川―伊万里―平戸―野子崎―津吉
走行238Km
六時起床。流石に朝方の冷え込みはすごい。あるだけ着てもまだ寒かった。有明海は潮が満ちている。
七時半出発。武雄へ向かうが、例によって道がわからない。迷いに迷う。
朝の筑後平野はなつかしいものがある。柳川だけでなく佐賀近辺のいたるところに水路がめぐっている。もちろんこれは農業用。 田畑は一面の緑、北海道のようだ。(人家は少々多いが。)遠くには山並。平野は嫌いだがここには好感がもてる。
武雄温泉にはよらずに県道を伊万里へ。もしかしたら昔山頭火が歩いたのかもしれぬ山路である。「山路きて何やらひとり言いうていた」の句が頭にうかぶ。
伊万里から平戸までは三年前と同じ道だ。大分暖かいが、しかしまだ寒い。平戸大橋は五百円也と、かなり高い。往復千円は柳川の川下りと同じである。 平戸市街もほとんど前と同じところをまわる。天気はよく、高台の公園からみる市街はよかった。
しばらくボーっとした後、南下し川内峠にのぼる。ここはほぼ360°が見渡せるということだったが、上まで歩いて登らなければならないのでパス。 風は強く冷たい。
国道にもどり、紐差から東側の道へ。うらぶれた田舎道である。人家もあまりない。細い峠道を走る。津吉の港は大きかった。 ここからは佐世保行きのフェリーがでている。
野子崎までは山腹のワインディング。入り江には人家がある。崎の先端までかなりひらけていて、割と大きな漁港があり、野宿などできない。
西側の根獅子の浜までひたすら走る。風の中を急ぐ。

・風の中走り夕日見に行く。

根獅子の浜も人家が多い。日は落ちてゆく。結局、東岸の津吉の手前の入り江で野宿。漁師の人が海苔を干していて、日暮れとともにしまっている。 あいさつしてテントをはる。「みな」という海産物が採れるとのこと。田舎の人らしく親しげであった。
暮れゆく海をみながら夕食。沖には烏賊つり船か。灯りが点々としている。 やっと、潮の香りと波の音で寝られる。今日はキャンプ地さがしに苦労した。大分無駄な距離を走ってしまった。だが、ここはここでいい。 日暮れにたどり着いて暮れゆく海がみられた。今も波の音が聞こえている。一室一燈というわけではないが。
新しいドームテントは前のとくらべ極楽だ。もうすぐ独りになる。天気予報は明日も晴といっていた。石井がカゼか疲れたらしく早く寝てしまったので、 ひとりの時間ができた。我侭なのはわかるが、都合のいい時だけ友がいて、あとはひとりになれぬものか。
山頭火を読む。

平戸大橋

崎方公園より平戸市街

ザビエル記念聖堂

川内峠より生月島

千里ヶ浜にて

平戸島、津吉あたりの入り江のキャンプ地

キャンプ地を見下ろす高台にて

キャンプ地より津吉港

三月廿三日

晴 時々 曇
平戸島(津吉)―佐世保―長崎―野母崎(高浜)
走行218Km
夜中に寝ぼけたのだろうか、四時頃だと思っていたのに時計をみるとまだ二時。 しっかり眠るべくテープを聴く。
六時起床。明けてゆくとともに天気もよくなる。海辺におりて「みな」という物を探してみるがよく分からん。小さな巻貝はたくさんいるのだが。
平戸までもどる。生月島は見なかった。風はやはり冷たい。佐世保に行くのに県道を通って九十九島を見るが、このあたり山の中ばかり。 佐世保では弓張岳に登る。展望はかすんでいてよくない。
九十九島は三陸の松島などに較べると島も多く、小さくてかわいらしく、なかなかよい。 佐世保市街は山の中腹まで人家がせまり、尾道を思わせる。(尾道の方がよいが。)
佐世保から西海橋を渡り彼杵半島へ。三年前の西海橋は桜が満開だったのであるが、今はまだ蕾もふくらんでいない。
R202ははじめて走る道だ。山腹を細い道がくねくね続く。時々入り江におりる。天気もよく気分もよい。細い道で走りにくくはあるが、 棚田あり、瓦屋根の民家あり、入り江を見下ろすと古い集落あり、海は青くかがやく。
南下すると道はひろくなり、快適に走れる。右手に松島、池島、などの島々が刻々と姿をかえ見ていて飽きない。
ひと山越えて長崎。市街は車で混んでいる。今日は土曜日であった。野母崎までの道もゴミゴミしている。海がみえるころ、やっと景色もよくなる。 キャンプ地をさがしながら走る。山腹の細い道はよい。
海辺におりて高浜海水浴場というところで人家の中を入っていって浜に出る。今日はすんなり決まった。夕日も見えそうだ。 沖には軍艦島が、その名の通り、船のような姿でうかんでいる。
夕食前のビールはやはりうまい。ツーリングに出て以来、食前のビール、就寝前のウイスキーを欠かしたことがない。ほとんどアル中である。 めしも食べ終わり、暮れてゆく海をカメラにおさめる。
夜になって沖には烏賊釣り船の灯りがならぶ。
満ち潮となってきてテントに波が近づく。少々心配だ。波音が大きく響く。

・波打ち際で寝る。

・波音大きく、野宿である。

・田舎の子供、みんな頭を下げる。

昨日あたりからだが、道端の子供がみんな頭を下げる。田舎のよさを感じる一事である。こちらも頭を下げた。

靄にかすむ佐世保港

弓張岳より望む九十九島

西海橋、桜はまだまだ

野母半島、高浜にて

高浜よりの落日

軍艦島(端島)、今は無人島
「資源を使い尽くした島」ってテレビのCMにも出た

三月廿四日

終日快晴
野母崎―長崎―小浜―島原(焼山)
走行174Km
夜中に一度目が覚めて、海を見るが、波は大丈夫のようだ。すぐ寝て、六時起床。 よくねむれた。七時半出発。このパターンが定着したようだ。
崎の先端の権現山展望台に登る。快晴、実に気持がよい。かすんで遠く五島列島までは見えないが、彼杵半島や、軍艦島などが眼下にひろがる。 とんびが悠々と舞い、海原には白い小船が点々と浮かぶ。
海はいいなあ。やっぱり断乎海がいい。とんびはほとんど目と鼻の先を飛んでゆく。
山は椿の木が生い茂っている。何の鳥か知らぬが椿の蜜を吸ったり、さえずったりしている。バードウォッチングもグライダーもいい。 双眼鏡がほしいところだ。 だんだん装備が大きくなってバイクでは容量不足になってきた。スピーカ、ウォークマン、ハリケーンランプ。Outdoor Lifeは充実してきている。 これでよいのか、現代における山頭火の旅としては。
権現山から半島の東岸を走る。地図では途中、道がないのだが無理矢理ゆく。海はあいかわらず美しいが、すごい山の奥だ。 こんなところにも人が住んでいるのである。
ついに藤田尾という集落で道は途絶える。 海の方が断然よいと思うのだが、ここで生まれ育った人はやはり飽きるのだろうか。
それにしても、山腹の道から見下ろす入り江の集落の瓦屋根の美しいこと。夏のような日ざしに鮮明に目にとびこんでくる。 それは長崎から島原への道でも同じだった。 橘湾には三年前と同じく大きな船がじっとうかんでいた。
島原半島にはいるとすぐ、愛野展望所というのがある。景色はかすんでしまってよくないが、休んでいるとバイクの来ること来ること。 テント、シュラフをもった野宿ライダーらしきも二・三回見た。なぜか、みんな独りだった。 明日は俺たちも独りとなる。野宿屋というものの一面をみる思いだ。
海沿いに半島を一周する。南端付近に原城跡がある。山頭火も訪れてよいといっている処だ。三の丸、二の丸跡は、一面の畑となっている。 本丸跡は公園。地元の子供会らしい、さかんに遊んでいる。これといったものもない。 歩きまわると、三体の野仏が海に向かっている。神父は十字架をもち、尼僧と若者、キリスト教の仏である。向いているのは天草の方だ。 青い海を隔てて見えている。
これがよかった。来た甲斐があった。
北には雲仙岳、あれほどいたバイクが、今はまったくいない。ほとんどが雲仙に行ったのだろう。確かに仁田峠などもよいのだ。 島原まで走りながらキャンプ地を探すが、人家が近く、思ったところがないまま、市街となる。城は新しそうで、見る気がしない。 武家屋敷跡は城の北側に一筋遺っている。石塀が続き、中を小川が流れる。近所の子供だろうか、遊んでいる。石塀のむこうは、けっこう人が住んでいるのだ。 二・三の家が昔のまま残っている。古い家もいい。
夕食のおかずを買い、銭湯をさがす。電話帳と地図で捜し当てた風呂屋はすごかった。弟子屈の温泉を思い出した。 (なにしろ、前を通って気づかなかったくらいだから。)

・野宿の旅続けて、ボロ風呂に入る。

・ボロ風呂の湯が熱い。

銭湯を出て五時。海辺はやめて、焼山キャンプ場なるものを目指す。(武家屋敷跡の地図にあった。) キャンプ場とはかいてないが、公園のようなのがあったので、ここにする。さいわひ、水もあった。
今日はウイスキーがない。たまには酒なし日もと思うが、無性にさびしい。いよいよアル中。
明日は昼から雨らしい。こんなに星がでているのに。

野母崎、権現山展望台にて

権現山展望台よりの軍艦島

鳶がゆうゆうと舞う

朝の野母崎、脇岬への道

朝の権現山展望台より脇岬、樺島を望む

高台より脇岬を望む

島原、原城跡より天草
キリシタンの仏が並ぶ

島原市の武家屋敷跡

島原、焼山にて
雲仙の大噴火でどうなってしまったのだろうか

三月廿五日

晴 午 曇時々雨
島原―五家荘―五木―人吉―藺牟田温泉
走行250Km
四時、小便に立つと満天の星空。天気予報では夜半から曇るといっていたのだが。
五時半起床。六時半出発。今日は別れの日だ。お互い遠くまで行くので早立ち。(予報では雨だし。)
焼山はこんもりといい形をしている。島原市街に下ってゆくと、朝日に城がシルエットになっている。R251を走り多比良港へ。 フェリーに乗り込むと、ちょうど出航。いいタイミングだ。フェリーの中で朝食。
長洲から熊本の前までいっしょに走り、いよいよ分岐点。石井はホーンを軽く鳴らして、右折していった。いよいよ独りである。
熊本市の南部をぬけ、R445で五家荘へと向かう。砥用町でR218を右折すると、道は一車線のタイトなワインディングとなる。 ひたすら登って二本杉の展望台に着く。ここからは、北の甲佐町、熊本までが見渡せる。しかし、だれもいない。 独りとなったさびしさを山路でよけい感じた。
楡木までは下って上り。道は山腹にへばりつくように走る。国道とはいっても、林道を舗装しただけなのである。
山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」の句がうかぶが、早春の山はまだ新緑とは程遠く、 「曲がっても曲がってもまだくねくね道」という感じであった。 もう神経がくたくたになって、やっとつり橋に着く。橋のむこうにも一軒の家。 思いもよらない奥地に点々と家があるのである。柳田国男の山の民であろう。
天気も悪くなってきたので人吉へと急ぐ途中、旭川ナンバーのGSX250がいた。 こんな山路で、なつかしくて、手を上げてあいさつした。止まって話せばよかったと、しばらく悔やまれた。
五木までの道は前にも増してひどく、怖いくらいだった。雨の降らぬうちに険しい道をぬけようと、めしも食わずに急ぐ。
やっと道がひらけ、昼食。いよいよ降り出しそうだ。雨仕度をする。ポツポツきたのでカッパの下だけ着る。カウリングのおかげで上はほとんど濡れない。 人吉に下りると雨は上がる。ちょっとキャンプ地を迷ったが、藺牟田温泉まで行くことにする。大口市へゆく峠はまた雨。しかし下ると止む。 久々にナナハンらしくとばして、いっきに藺牟田まで。酒屋でビールとウイスキー、といいたいが、ノーサイドがないので焼酎とする。 祁答院という地のものだ。何となく不気味な名だ。藺牟田のキャンプ場は県営で350円取られた。
やたら風が吹くと思ったら雲が晴れてきた。池は新緑でないので写真で見たほど美しくない。(酒屋の女の子はかわいかったけど・・・・) 風が吹いて寒そうなので温泉はやめる。
五木の山中を走っていた時は、やたらにメゲて、人恋しくなった。
不思議なものだ。

・満天の星空の下、尿している。(山頭火のまね)

・あたたかい風吹く、焼山はこんもりと。

・別れたあとの、独りで混んだ道。(熊本市内)


R445、二本杉峠より北方はるか熊本まで望む

五家荘の集落
楡木のつり橋

藺牟田池キャンプ場

焼酎、さつま祁答院




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