野宿記 九州一周

1985年3月20日〜4月2日

後編

三月廿六日

雨後晴から曇そして晴
藺牟田池―串木野―(船)―甑島(長目の浜)
走行46Km
夜中は激しい雨音と強い風。眠ったかとおもえば目覚める一夜であった。
六時、時計が鳴ったが、雨なのでまだ寝る。七時頃起床。外を見ると霧の中に藺牟田池と背後の山が幻想的にひろがっている。 それもすぐに霧に消えてしまった。
今は決断の時である。甑島に渡るか、もう一日どこかで待つか。予報では曇時々雨。しかし、荷物をまとめていると霧は晴れ、青空がのぞく。
一路串木野へ、といいたいが道がわからず川内市を通ってR3を走る。串木野港に着く頃には快晴となる。
一時五分の普通定期船まで少々時間があるので長崎鼻公園に行く。白い波と小さな白い灯台が美しかった。
港の待合所は高校生でいっぱい。修学旅行ではなさそうだ。そのにぎやかなこと。
定刻より少し遅れて出航。一時間半の船旅である。遠くには甑島の島影がみえている。波があり船が揺れる。うとうとしているうちに島は大きくなっていた。
港には出迎えがたくさん来ている。久々の対面もあるらしく歓声が上がっていた。 高校生は島の出身で春休みで家に帰るのであった。
港で船を下りたのはいいが、案内所は休みで地図ももらえない。 大きな案内板で場所を確認した後、ひたすら歩き出す。必要最小限とはいえ、キャンプ・自炊であり、荷物はばかにならない。 20キロは超えているであろうが、 普通のダッフルバッグで肩が痛む。思えばついにBP(Bike Packer)からBP(Back Packer)となった訳だ。だんだん本物の旅に、言いかえれば、 西行、芭蕉、山頭火の旅に近付きつつある。
今日は島で豊かな人情に二度ふれた。
一つは雑貨屋のおばさんにビール一本もらったこと。里の集落のはずれの小さな雑貨屋でラーメンを買い、水をもらい、酒屋の場所をきくと、戻らないとないとのこと。 独り旅の野宿旅の歩き旅に同情してくれたのか、売物でないビール一本をくださったのである。お金は受けとってくれなかった。
もう一つは車にのせてもらった事。里から海沿いに農道を歩くと須口池がある。 砂洲沿いに歩くが、荒人崎があって海側は通れない。山中のぬかるみを歩いて農道に戻り、とぼとぼ登りを歩いていると通りがかりに声をかけてくれた。 ついにヒッチハイクまでやってしまった。(受け身ではあるが。)以前、京都で働いていたこともあるそうで、鍬崎池、貝池、海鼠池と観光案内もしてくれる。 (おかげで、運転の方は少々こわかった。)昔の話。以前は農道などなく、砂洲沿いに長目の浜まで行った事。眼下の荒地がすべて薩摩芋畑であった事。 四月は桜は散り、つつじの花見をした事、等々。そして、やはり島に高校はないそうで、 みんな本土で寮か下宿生活しているという。
分かれ道でおろしてもらい、山をくだって浜に下りる。海鼠池では、しきりに魚がはねている。大きな魚だ。鍬崎池以下は淡水で、大きな鰻がいるという。 樹木の下をくぐって浜にでる。ここは砂浜でなく、玉石がごろごろしている。 車の人が「みな」の話もしてくれた。小さな巻貝らしい。浜では家族で採りに来ている人もいた。
石浜の上にテントを張り、めしを炊き、恒例のビールを飲み干す。うまい、うまい。 惜しむらくは、もう少し冷えていたら。(なんとぜいたくな!!) 「みな」を採ろうと波打ち際に行くが潮が満ちているのであきらめる。夕日は残念だが背後の山に沈んだ。コーヒー片手に海鼠池に行ってみる。 魚はまだはねていた。(魚がはねると天気が悪くなるという話はあったかな?)
天気予報は好ましくない。明日の降水確率90%であるという。昨日、今日の事もあるので何とも言えぬが、時化たら船が欠航するやもしれぬ。 現に昨日は欠航であったらしい。島に閉じ込められるか。米はもうない。燃料も残り少ない。(金はあるが。)確かに夕の空は曇ってきている。
食後は昨日買った焼酎、祁答院を飲む。近頃本当にアルコールがうまいと思う。
以前は酔うための薬のようなところがあったが。祁答院もうまい。今日は手紙を書こう。独り旅の島からの手紙。

・重いカバン背負って歩くは島の道。

・島の人、会うとみんなあいさつしてくれる。

・女高生、訊けば標準語で話す。

今日、わずかだが歩いてみて、昔の旅の苦難が分かった気がした。 現代の山頭火の旅、バイクの旅。雨が降ればやはりバイクもつらい。木賃宿に 泊まるかわりに、テントをはり野宿をする。さだめなき旅のゆくへよ。 一室一燈のうれしさはあるが。一燈とはランプであり、今日のところは懐中電灯 である。放浪。憧憬れをもって言える言葉ではあるが・・・・
来る途中、山桜が咲いていた。いや、もう葉桜となりかけていた。ここはやはり暖かいのだ。 明日はどうなる。雨か、欠航か。どこに泊まろう。なるようにはなるだろうが。
重大事!!カッパをもって来なかった。愕然・・・・
石井はどうしているかなあ。昨日の雨は大丈夫だったかなあ。

朝霧の晴れ間にのぞく藺牟田池と飯盛山

串木野、長崎鼻公園

長崎鼻灯台

甑島、須口池

甑島、貝池

甑島、海鼠池

長目の浜

夕暮れの海鼠池

三月廿七日

雨風強し 後 曇時々晴
長目の浜―瀬上―中甑―里
走行0Km
ひどい一夜であった。すごい一夜であった。天気予報大当たり。夜中十二時に英断をもって浜辺から樹木の陰へとテントを移動させたのだが、 その効果もあまりなかったようだ。 雨風ともにものすごく、雨が二枚の布を通ってテントの中に降ってくる。 ペグを打ってないのもマズかった。風でテントの端が吹き寄せられる。 意を決して外に出てペグを打つが、ずぶ濡れとなっただけであった。
この後、小康。もう乾いた衣類が残り少ない。すべて着込んでシュラフにくるまる。明方まで、わずかに眠ったようではあった。変な夢を見たのだから。 家族の夢であった。
七時前、身支度し、テントをたたむ。近くに一軒だけある丸島水産の人々が 車で通りかかって、寄れといってくれたので行く。おばあさん一人しかいない。 船で出たのだ。電話で商船に問い合わせると船は出るとのこと。おばあさんに 道を教わって瀬上まで歩く。タクシーで中甑港へ行くと、なんと全日欠航。 ついに閉じ込められた。濡れた物など広げ、パンをかじりするうち、雨は止み 明るくなる。
十一時四十六分のバスで里へ。晴れ間ものぞく。武家屋敷跡など散策。 玉石を積み上げた塀は好もしい。桜は昨日の風雨ですっかり葉桜だ。 海っ端でシュラフ、濡れた衣類など干す。集落を突っ切り、反対側の海岸まででるが、 風強く雲行きもあやしいので野宿はあきらめる。波止場の待合室で読書。 腹が減ったのでラーメンをつくる。ねむくなったので寝る。今夜はここで寝たいが・・・
とうとう浮浪者のようになってしまった。待合室のベンチで焼酎飲んで寝るのだから。 隣の喫茶店では何やらカラオケがはじまった。彼らにはそれが日常なのだろう。ふと、日常に戻りたくなった。 こんなわびしい旅寝では。早く静かなキャンプ地のテントの中でのびのびと眠りたい・・・
と思ったのが六時二十分。もう体は動いていた。ひとくちの焼酎がエネルギーと なったのだ。今七時。玉石海岸のテントの中にいる。やはり一室一燈はよい。 風はやはり強いが西のかなたの空は晴れている。明日はきっと晴れるだろう。

・テントの中にも雨降る。

・テント水びたし、カメラよ無事であったか。

・寒い、着るものがない、焼酎を飲む。

ゆうべのテントの中で寺崎勉の話を思い出した。彼こそ、さすらいの野宿ライダーであるが、 風雨がひどくて一睡もできないような夜について書いていて、 風情があってよいといっている。 確かに、もうなすすべなく、あきらめ、あきれはてた感じは気持よくないでもない。
ビールをくれたおばさん、車にのせてくれたおじさん、彼等は心配してくれただろうか。

・屋敷跡、好もしい玉石垣。

甑島、里の玉石垣

里の武家屋敷跡

里の玉石海岸、防波堤の外で野宿

三月廿八日

曇 後 晴
甑島―(船)―串木野―野間―開聞
走行158Km
今日はすごい一日であった。(正しくは昨日であるが。)忙しかった。 野宿記も書けない程であるから。すごいというのは、いいと云う事である。
七時起床。九時前に港に行く。船の時刻まで暇なので、本を読んだり、写真 撮ったり。船は定刻より十五分程遅れる。
島から本土に就職する若者がいる。港には見送りの人々。紙テープ。 出航には、ほたるの光。他人事ながら、少々センチになる。「あわれむべし、 白髪のセンチメンタリスト」。老婆はハンカチをふっている。旅情をそそるには 充分であった。
沖に出ると、中甑、下甑の島影も見える。快晴、波高し。
十二時過ぎ、串木野着。バイクも無事。
南下し、R270で吹上浜に寄る。松林のダートをぬけると砂丘。茫とした、 いい風景である。道北のサロベツあたりのような。 ここでキャンプしたいが、時間はまだ早いし、今日は温泉につかりたい。 名残惜しいが走り出す。
加世田から県道を野間へ。野間はいい。やっぱりいい。 海は青く、小島が浮かぶ。道はワインディング。ゆっくり走るのが惜しいような。 それでいて風景も見たい。三年前より道は大分よくなっているようだ。 ナナハンらしくとばす。西岸にまわると、日の光に海は銀色に輝く。 沖秋目島が細長く横たわっている。写真写真。気持ちよくとばすが、コーナーばかりで疲れてきた。ひたすら田舎道、観光色はまったくない。 足早に通り過ぎるのがもったいない。丸木浜もいい。小さな入り江にひっそりと ある。キャンプしたらいいだろうなあ。
展望台でまた写真。坊津のあたりは歴史もある処だ。さまざまな歌碑・句碑が たつ。それらもゆっくり鑑賞したかったのだが・・・
あわただしく耳取峠を越える。ここには見覚えがある。枕崎が見渡せる。 枕崎のスーパーでさしみを買う。夕方ですべて百円引き。鰹のたたき、たこ、 まぐろ、等々、しめて五百円程。安い安い。
R226の真っ直ぐな道をひたすらとばして、六時開聞着。 長崎鼻の途中の海岸の松林の中、もうテントをはってる奴がいる。通り過ぎたが 反応なし。夕飯を炊いていると、近くのじいさんが散歩に来て話をする。夜来いといってくれた。
食後、となりのテントに行く。なんと京都。XL250R。立命大四回生。 いっしょに開聞温泉へ。熱い湯であった。塩くさく、錆くさかった。
風呂上り、歩いてじいさんの家に行く。寝ていたようだ。約束通り焼酎をいただく。いやはや、呑み過ぎた。十一時頃失礼する。 立命君はかなり酔っていて歩行不能。結局テントまで送っていただいた。
という訳で、そのまますぐ寝て、起きたら八時という次第。立命君とコーヒー のんで、これを書いている。そろそろ出発。

甑島商船、鯨波丸

里港の見送り風景

老婆はハンカチを振っている


吹上浜、茫々たる風景


野間半島、野間岬

野間、沖秋目島(枇椰島)

丸木崎展望台より

R226から開聞岳

開聞岳を望む松林の中にて

立命の4回生、XL250Rと

三月廿九日

曇 後 晴
開聞―指宿―都井岬
走行132Km
出発はとうとう十時過ぎとなってしまった。立命君といっしょに長崎鼻へ行く。
朝は曇っていたが、晴れてきた。海のむこうに開聞岳がそびえている。 立命君(中石正一君)と京都での再会を約して別れる。
国道に出て指宿へ。昨日のじいさんが言っていたが、大分さびれているようだ。 海辺でブランチ。絵葉書を書く。期待していた景色はもうひとつの感。
山川まで戻ってフェリーで根占へ。福岡からのSR400改+FT400の 二人組と乗り合わせる。根占から佐多岬はパスして都井岬へ。海は青く美しいし、道は直線が多く、快適にとばす。 志布志では、ダグリ岬へ。ここも大した事はないが、そのあとの海岸は砂浜が 美しく、野宿心をそそられた。
串間で買物。都井岬への道は山中のワインディング。これで本当に海に行くのか といった感じ。三年前を思い出しなつかしい。道は大分よくなったようだ。 岬の灯台にゆく。馬がいる。野生馬とはいっても観光客慣れしている。 岬からもどって細い道を下る。ここは民宿のやっているキャンプ場である。 三百円だが、まあ木があり風よけとなるのでよいとしよう。
食後、ユースの奴が一人遊びに来る。昨日の呑みすぎがあるので、今日は ひかえめ。埼玉の小山君と一杯やる。それにしても、このところ人の出入りが あるなあ。小山君による最近のユースの状況は三年前とは違っていた。 ヘルパーが少ない。気狂いユースがそれほどでもないという。
今夜は快晴。月も出ている。あと二・三日は晴れそうだ。阿蘇までもてば よいが。

・あつい湯のあと、じいさんと焼酎。 (昨日の出来事)

彼女がいない、いればこんな旅などしていないと語り合った小山君。
お互いにさわやかであった。(少なくとも俺は・・・ でもないかな。)

長崎鼻より開聞岳

指宿、国民休暇村

山川→根占へのフェリーより、田良岬と知林ヶ島

志布志のダグリ岬

都井岬灯台と野生馬

都井岬、民宿のキャンプ場

三月三十日


都井岬―日南海岸―宮崎―尾鈴山―東郷―日向―須美江(日豊海岸)
走行247Km
五時起床。ゆうべは風が強いせいもあってか、大分寒かった。まだ暗いうちに 起きて朝食。食いおわりコーヒー飲むうちに、朝日が昇ってきた。
きのうの小山君がユースの日の出ツアーの帰りに女の子つれて立ち寄る。 京薬二回生、独り旅、予約なしであるという。三人で写真を撮る。 彼女(名前を聞いたが、すぐ忘れてしまった。女の名を憶えられないの だから、軟派師にはなれない訳だ)は、朝食を食べに。
小山君に見送られて、八時前出発。牧水の歌碑を撮る。今日は生家に 行くのである。鵜戸神宮まではノンストップ。海は青く、あいかわらず 美しいが、見慣れると飽きるものだ。鵜戸神宮は岩窟の中にあり、奇岩が 多い。なかなか面白かった。
日南海岸はまったくあかるい。ツーリングバイクも多い。軽く50〜60Km/hでながす。 青島は砂浜のむこうに青々と在り、なるほどと思わせたが、 なにせ観光客が多い。土曜日であるから。 日南は九州有数の観光名所であるから、孤独な野宿ライダーなどの来る処ではないのかもしれぬ。
宮崎で一ッ葉有料道路。広々とした砂浜で気持がよい。 宮崎からのR10は幹線国道らしく渋滞気味。高鍋からR10を離れ、山路へと 入ってゆく。木城までの田舎道は昼食後のボケた頭で走るのにはちょうどよい。
木城の石河内という処から、道は小丸川沿いのワインディングとなる。 フラットな中速コーナーの連続を快適にとばす。山路もよい。海っ端ばかり 走り過ぎたせいもあるだろうが。ここは県立自然公園であり、かわいらしい 渓谷といったものである。松尾ダムのあたりになると、昔のままの一車線と なり、細長いダム湖のまわりを、橋を二度、三度と渡りながら右に左に 北上していく。
なんと湖の水の美しいことよ。緑の山々の影を映し、日の光に輝き、 まさにエメラルドグリーンである。ちょうど海がコバルトブルーに 輝くのと同じように。
古い石橋、赤い鉄橋。ここでも山桜は散りかけ、 葉桜となっていた。人家も途絶え、くねくねと細い道。こんな山奥にも 人が住んでいる。しばらく行くと中之又小中学校という看板。 なつかしい山路であった。山頭火の世界である。「分け入っても、分け入っても 青い山」、まさにそのとおり。はるかに遠く、山は緑である。
児洗というところでR446にはいる。川と別れ、鎌柄峠を越えると、 牧水の生家がある。放浪の歌人、若山牧水。このなつかしい山あいに 生まれ育つ。記念館もよかった。彼の短歌は平明で、自然をうたい、ロマン的 で、叙情に満ちている。
彼が名を上げ故郷に帰った時、子供の頃から可愛がってくれた隣のじいやんに 贈った歌があった。長生きしていっしょに酒を飲もうという歌であるが、 思わずほろりとしてしまった。生家は江戸時代に建てられ、現在もそのまま 残っている。家の前は川、むこうには尾鈴山がそびえている。彼がうたった山 である。
一時間あまりをここで過ごし、何とも言われぬ思いとなって去った。 牧水について、もっと知らねばならない。彼は北海道から九州まで、日本中を 旅している。草鞋を履いて。彼の草鞋についての小文も面白かった。
日向でR10にもどる。加草で三年振りの再会を期待して「せつや」に寄るが 留守であった。なにか様子がおかしい。人の住んでいる気配がないのだ。二度も 出した手紙の返事がこないので、変な予感めいたものはあったのだが。 近所で消息をきこうとしたが、やめた。結果が恐ろしい気がした。
会うつもりだった人に会えなかったからか、ゆうべと今朝と小山君と話した からか、はては、牧水のよさを知ったからか、今日はやたらに人恋しい。 死にたくないと思った。よい事があると死ぬのがやたら怖ろしくなる。今日は 牧水の本を買ったのだ。
延岡までR10、市内でR388。峠を越えて今夜は須美江という浜で寝る。 小さな浜が入り江の奥にあり、まわりは磯である。夕暮、木を燃やすにおいが する。このにおいもいい。
天気予報によると明朝は冷え込むらしい。その分天気がよいのだから、しょうがない。

・山頭火の山路、分け入ると牧水の山。

・なつかしい山路、赤い鉄橋を渡る。

・会いたい人の消息、きかずに去る。

・今日の泊まりは、放哉が、夕暮のなぎさ。

朝、ユースの二人と

鵜戸千畳敷、奇岩

鵜戸神宮

日南、サボテン園

宮崎、一ッ葉有料道路

尾鈴県立自然公園、小丸川

東郷町、牧水生家

牧水生家より尾鈴山

日豊海岸、須美江の浜にて

三月三十一日


須美江―延岡―高千穂―阿蘇―湯の平温泉
走行240Km
今日はよい一日であった。おわりよければすべてがよい。
今夜ははじめて宿に泊まる。よい宿である。
六時過起床。明方は寒い。カッパを着て大分暖かだったのだが。
八時前出発。延岡までもどり、R218で高千穂へ。風が強く、冷たい。 冬のようだ。くしゃみがでる。今日も山路である。五ヶ瀬川に沿って山へと 入ってゆく。高千穂線も道と川と絡み合って山へと続いている。 小さな駅。バス停のようだ。赤い、ローカル線によくあるディーゼル車。 三〜四両編成で乗客も多そうだった。
高千穂に着くが寒くて気分がのらない。天の岩戸は前にみたし、という訳で そのまま高森へとむかう。河内から祖母山登山口という標識たよりに 山へ入ってゆく。峠一つ越えてトンネルをぬけると、三岳台。祖母、阿蘇、 九重が見渡せる。
祖母山は高くそびえていた。山頭火が愛した山である。それにしても 寒い。風が冷たい。人はだれもいない。「山路きて独り言いうていた」 となった。このあたりの山路は明るい。五木、五家荘の暗く、空の狭いの と対照的である。新緑の五月、山頭火のように歩いて分け入ったら どんなによいであろう。 帰りみち、寒い寒いと思ったら霜柱が立っていた。
高森峠をおりると阿蘇である。峠は立派なトンネルとバイパスができて、 あのくねくねした道は通らなくてもよくなった。俺も通るのはやめる。 もう、あのタイトコーナーをせめる気力はない。腹は減って集中力は おちるし。カルデラにおりてすぐに昼食。
阿蘇登山道路をのぼる。三年前と逆のコースである。草千里、米塚など、 前と同じ写真を撮る。車は多いがまだ寒くて気持がはれない。 一面の枯草が緑となる頃は壮観であろう。 火口にのぼるが、風向きが悪く火山灰がすごい。百円で灰をあびる事と なってしまった。
一の宮を通り、やまなみハイウェイへ。調子にのって次から次と車を 抜き去り、荒っぽくとばす。やっと気分がHIGHに。 しかし気をつけないと、一歩まちがえば命がない。調子にのりやすい 性格、反省すべし。長者原、朝日台とガバッと走っては、ちょこっと 止まって写真。やはり三年前と同じ場所だが、今度は納得のいくものが 撮れた。 最後はなんとなくまじめにゆっくりと走る。と、早速白バイ。ラッキーで あった。
山下湖のところから間道を湯の平温泉へ。小さいが標識があり、 走りやすかった。 湯の平温泉は谷あいにある。真ん中を小さな川が流れ、旅館がそれに沿って かたまっている。山峡の温泉である。清澄の「山峡の章」という小説以来、 山峡は特別のイメージで心に浮かんでくる。
共同浴場にゆく。無料。みんな湯治客、老人である。湯治の湯の入り方を 見た。一度湯で温まると、六畳程の風呂に渡してある板の上に仰向けに寝て、 タオルを腹の上にかけ、湯をすくってかけるのである。 風呂上り、坂道を歩いて宿にもどる。
夕食は御馳走であった。十日振りのちゃんとした飯であるというせいも あるのだろうが。
山頭火風に記すと、
さしみ(タイ・イカ)、カニの大きいの半分(なんと子持ち)、 川魚の焼いたの、やまいもの酢の物、魚とワカメとキュウリの酢味噌和え、 トンカツ、等々であった。
静かである。じっと耳を澄ますと小川の音、人々の話し声が微かである。 日が沈んで、むこうの山際が影絵のよう。まさに日本的風景である。湯治、 この日本的娯楽と同様に。

・赤い着物着て遊ぶは山の子

・山頭火の好んだ湯につかる

・祖母の山なみの足もとの霜柱

・寒い寒いと独り言いうて走る


高千穂線、ひのかげ駅付近

R218より、高千穂町

三岳台にて、祖母山を背景に

阿蘇山、噴火口

草千里浜

米塚、やさしい伝説の山である

やまなみハイウェイ、瀬ノ本高原より九重の山々

長者原より、九重連山

朝日台より飯田高原

湯布院、湯の平温泉

四月一日

快晴
湯の平温泉―湯布院―本耶馬渓―小倉
走行169Km
今日は七時起床。静かな朝である。しばらくこたつに 独り座って山を眺める。美しい緑である。よい時間であった。八時、朝食が くる。おいしい。全部食べる。出発に際して、宿のおばさんが記念にと 手ぬぐいとマッチをくれた。また冬にでも来たいものだ。 九時半、旅館を出る。
湯平温泉有料道路は、どこがどうやらわからないうちに、百円払って 国道となっていた。国道を走って湯布院へ。由布岳は変わった形をしている。 それほど美しいとは思えなかった。街並は湯平と較べると、やはり観光化 されている。昨日はよかったとしみじみ思う。駅で土産を買って狭霧台へ。 湯布院盆地が一望できる。湯布院は四方を山に囲まれている。わずかに 平地の続くのは湯平の方であろうか。
狭霧台からやまなみハイウェイをとばして別府へ。市街へはゆかず、 安心院町へと向かう山なみを走る。広い道、東には国東半島がみえている。 山路も三日目となると飽きてくる。耶馬溪まではかなりある。
田舎道を50〜60Km/hでゆっくり流す。気持ちがよい、というより、 頭がからっぽになり、体だけが反応してコーナーをぬけてゆく。
羅漢寺で青の洞門をみる。中津からはR10、嫌な道だ。車の間をエグく すりぬけ、四時前、小倉、日明港着。乗船するとすぐ出航。船内は平日とは 思えない程込んでいる。団体がいるのだ。
嗚呼!

湯平道路より湯布岳

狭霧台より湯布院盆地

別府市街と国東半島

耶馬溪、五百羅漢

青の洞門

四月二日


神戸―京都
走行70Km
昨夜はバイク好きの夫婦といっしょになる。青森、舞鶴、沖縄、佐世保、 八戸、とくれば、どうみても自衛隊であろう。八戸の住所が決まったら 遊びに来いという事であった。
それにしても子供のうるさいことよ。
親というのは大変であるかな!!
七時、神戸、魚崎港着。R171を鬼のようにとばして京都へ。幹線は ひどい状況だ。いつ事故があっても不思議ではない。田舎道を走り慣れると 都会の道の何とエゲツナイことよ。
九時半、無事京都着。何よりであった。


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二度目の九州であった。
春の野宿の独り旅、よかった。
夏の北海道・東北でのキャンプ場以外での野宿の不安、
それはまったく無くなった。
俺も遂に、さすらいの野宿ライダーとなった訳だ。
風来坊、よい言葉である。
風のように来りて、風のように去る。
放浪、・・・山頭火、放哉。(西行、芭蕉は云うまでも無い)
牧水、彼もまた旅人である。
彼の故郷、なつかしい山路であった。
海の佳さ、野母崎からの朝の景色の気持よいこと。
落日の美しさ、これはまだ出会うていない。(今回の旅では)
秋を待たねばならないだろう。
バイクの魔力、スピードの魔力、快感である。
風のような旅から帰ってきたら、現実が待っていた。
もう、就職である。
社会のしがらみへの記念すべき第一歩。
ハジキ出されるか。
オトナシク丸くなってしまうのか。
前途は茫洋としている。



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