2020年12月21日(月)
3日目です。相変わらず予報に反して最低5度と暖かい。てんこ盛りのキャンパー達は半数くらいになりましたが、まだまだ居ます。
特に鬱陶しいのが、我が家の南北の2グループ。北は豪華モーターホームの若い家族連れ。5〜6歳くらいの男の子2人が4輪バイクで湖底を時々走っている。南側はSUV4台くらいのグループ。
夜中まで焚火で騒いでいたようだけど、朝みたら2台になっていた。テントは見えないので車中泊なんだろうなあ。
ということで、相変わらず雉撃ちテントにお世話になります。
さて、今日は初日に走った北側ルートの続きです。出来れば北側の境界まで行ってみたいけど、岩山が立ちはだかっているからなあ。トライアル車じゃないんで、ガレ場やステアケース越えは疲れますからね。
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10マイルくらい走ってここまで来ました。
岩山の麓の道はガレていて、やっぱり疲れます。背景の登りを越えれば、反対側の平原に出られるはずだけど、やっぱりパス(苦笑)。
山の近くは携帯の電波が届かず、GPSアプリが警告メッセージを表示。しかも、北側は別のオフラインマップが要るようで、ダウンロードしてないので地形が出ません。まあ、ちょっと平地に行けば電波が届くのでOK。
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ふと下をみると、薬莢が。
ここのOHVAは、確かショットガンの発砲は許可されているはず。初日には、車数台のグループがテントサイトのすぐ隣で発砲しまくってましたから。その手の輩なので、日帰りで帰ったけど。
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山越えはパスして、南北に延びる山塊の東側を回り込んでさらに北へ。
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また登りで大変そうなので、ここで平地に下りたい。涸れ沢沿いに行けそうなので下ります。
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う〜ん、ホントに行けるのか?
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振り返ればこんな感じ。
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歩いて下見したら、先はこんなんなってました〜 2メートルくらいのステアケース。
登るんじゃないので、ジャンプすれば下りられそうだけど、助走区間がバイク2台分長くらいしかなく、砂地に岩だし・・
フロント上げるの失敗して、着地で前転でもしたら一大事なので、引き返します。
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結局、無理して涸れ沢なんか通らずに、高台をひたすら下りて行けばいいのでした。涸れ沢を下見してるときに出口に看板が見えたので、平地に下りてから行ってみます。
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あ〜、ここから軍事エリアだった。確か、OHVAとの共有エリアで、演習してない時は行けるはずだけど、不発弾だとか高エネルギー装置とか、怖そうなので
出来るだけ山近くの道路を通って南進。下は涸れ沢出口のパノラマ。
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南下してほぼキャンプ地くらいの緯度まで来ました。あとは西に行って戻るのみ。途中にまた同じ軍事看板と、大きなゲートがありました。ゲートは開いていたので、やっぱり共有エリアで、現在開放中なんだな。
行く手に丘がありますので登ります。んん、あれはやっぱり・・・
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事故の記念碑ですね。ElMirageにもある。
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墓碑そのものは撮りませんが、これならいいか。
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丘を越えると、キャンプ地のある湖底が見えました。
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走行距離は18.2マイル。
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涸れ沢を下りようとして苦闘した跡。(笑)
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焼きそばにて昼食。豚汁で余った大根を千切りにして、味噌汁も作りました。
食休みに転寝して、結構遅くなったけど、まだ行きます。今度はサイトの北にある丘を1周してやろうかと。
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丘の南側の麓のルートを走りますが、いや〜、酷で〜道だ。スーパークロスのウォッシュボードみたいなのがひたすら。飛ばずに舐めて走りますから、疲れます。
漸くまともな路面になり、北に向かっていくけれど、地図で想像したより大回りになりそう。
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もう日没が近いし、反対側がガレ場な可能性もあるので、Uターン。
この辺は開けていて独特な風景だった。
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ということで、サイトに戻ったら、もう日が沈んでいました。
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夕飯はまたまた例によってメスティン・スパゲティでした。
前回、トマトを入れ過ぎて胸焼けしたので、今回はマイルドにミルクとリンゴのみじん切りを替わり入れてみる。昼食が遅くて腹が減ってないので、まずは焚火です。今回も石ころに直火の素朴路線。
夕凪で風が回って、煙に追いかけられましたが。
走行: 32マイル
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